【特集】あらっ!こんなに楽になるのねっ!!

 

 ひざの辛い症状さえも・・・

 

ひざの激痛

51才 男性  太田様

 昨年の六月にランニングをしていて、膝を痛めてしまいました。初めは整形外科に通ったのですが、レントゲンをとっても、特に異常はないと言われました。若干軟骨が減っているが確認される、とのことでした。

 丁度時を同じくして娘が通っていた東邦高校のPTA副会長から会長になり、愛知県の私立学校のPTA連合会の副会長・名古屋支部長にもなり、愛知県の私学の運動に没頭する忙しさになってきました。そうこうしている内に八月のお盆過ぎに父親が倒れて春日井市民病院に入院する事になり、毎日父親の看病をしに行く母親を迎えに行くため、仕事が終わると服を着替える暇もなく、春日井市民病院まで車を走らせ母親を自宅まで送っていく、という毎日になりました。

秋には私学の運動が本格化し、愛知県の私学復興委員でもあったので、 理事長や校長先生方と一緒に運動を創っていく会議が入ってきました。 その他に愛知県下三六か所で行われたオータムフェスティバルには 東邦高校PTA会長として八会場を担当し、ひと月に一八日の会議を こなすという毎日でした。
それも春日井市民病院に母親を迎えに行って、母親を実家に 届けてから会議に向かうので、膝の治療の時間はまったく取れませんでした。
整形外科では私の膝が治らないので、 その頃接骨院に通いかけましたが、 忙しさの優先順位から自分のことは最後となり、 結局接骨院にも通う事が出来ませんでした。
私学の秋の大運動がやっと年末になって忙しさも薄れてきました。
年明けの一月五日にとうとう父親が亡くなり、 法事やら公私共に忙しさは続きましたが、 姉から薬を飲んだら直ると教えられ、一月から飲みはじめましたが、 三月になっても治りませんでした。
その頃歩くのも限界が来ていまして、本気で杖を買って来ようと 思っていました。
激痛が走る左足を我慢し、引っ張るように這っていたのですが、 五分歩くとしばらく痛みが治まるまで座っていました。
痛みが治まるとまた五分頑張って歩くという日々でした。
三月になって薬では治らないことがわかったので、 インターネットで治療してくれるところを 探しました。
職場が上前津なのでそこから通えるところを調べました。
そして、大須快福堂さんにお世話に成る事になりました。
一回行くごとに少しずつ良くなるのが解りました。 本当に不思議でした。
殆ど治らないんではないかとも思っていたのですが、 もう今は歩く事に痛みを感じる事は有りません。
大須快福堂さんには感謝しております。 合掌。